要望を聞きすぎると…
ひとりひとりの声に耳を傾けるのはいいことだとずっと思ってきた。
自分自身も『気遣われる』ことに慣れ過ぎてしまって
気遣いがないと『不平・不満』に感じてしまうことが多い。
例えば、
大阪に住んでて九州限定のお菓子が食べたい時。
九州まで家庭の事情で出向けない場合。
オンラインショップやデパートの物産展でもないかぎり
はたまた、たまたま九州在住の友人がいたりしたら
もしかしたら手に入れたりするかもしれない。
数か月もすればすっかりそのお菓子のことなんて忘れているかもしれない。
たまたま思い入れの強い人が、そのお菓子が忘れられなくて
お菓子メーカーに電話してきた。
お菓子メーカーの社員に『自分の住んでるところのデパートでも物産展やってよ』
その人の住んでるところにはデパートがなく物産展は結局できなかった。
2年間、その人から年に1回のペースで電話がかかってきた。
お菓子メーカーの社員としても「そんなに気に入ってくれているなら」と
物産展がなかなか開けないので、その人にお詫びに菓子折りを贈った。
そして半年後、
お菓子メーカーがオンラインショップを始めたので、その人に連絡した。
数日後にその人から
『自分はホットペッパーグルメをよく利用しているので、
お店(お菓子メーカー)をホットペッパーグルメに掲載してほしい』
という電話がきた。
お菓子メーカーの社員は悩んだ。
ホットペッパーグルメに掲載するのは有料(決して安くない)である。
掲載するかどうかはお菓子メーカーがその費用対効果を考えるところ。
このままひとりの要求を受け入れ続けたらどうなるか?
自分もいつも間にか『その人』になっていないか?
自戒の念も込めて…
0コメント